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『阪神・淡路大震災』から四半世紀

福岡県大川市の「たのしいはんこ屋さん」正信堂(せいしんどう)です。

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はんの正信堂 徳永です。

 

25年前の今日、1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒、淡路島北部沖の明石海峡(深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生しました。

兵庫県を中心に近畿圏の広域が大きな被害を受けました。特に震源に近い神戸市市街地の被害は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えました。

死者 : 6,434名、行方不明者 : 3名、負傷者 : 43,792名という大災害です。

実は私、25年前のこの日「神戸」に滞在していました。
しかも震度7を記録した中央区のメリケン波止場に立つ「ホテルオオクラ神戸」に・・・。


前夜、神戸の街で「夜遊び」をしてホテルへ帰り、28階の部屋で熟睡中その時・・・

激しい〈縦揺れ〉にベッドから放り出されて目が覚めました。
「地震だ!」と気づきベッドサイドで身を伏せていましたが、直後にやってきた〈横揺れ〉に体が翻弄されます。
立ち上がると高層ビル特有のしなりでしょうか、真っ直ぐ立っていることができません。

建物全体の〈揺れ〉が収まるまでどれくらいの時間だったでしょう・・・

カーテンを開け夜明け前の外を見てみました。海側の部屋だったので、〈津波〉が来るかもしれないと、しばらく海岸を見ていました。(幸い津波は発生しなかったのですが・・・)

部屋の中を見てみると、テレビは転げ落ちクローゼットの扉や引き出しが乱雑に開いています。
真冬だったので、乾燥予防にとバスタブに張っていたお湯がバスルームを水浸しにしています。


「すごい地震だったなあ?!」と思いながら、部屋を片付けまだ朝早いのでもうひと眠りしよう(笑)と思っていた時に、ヘルメットをかぶったホテルスタッフの方が「ロビー階へ避難してください!」と知らせに来ました。

非常用の灯りは点いていましたが、停電でエレベーターは使えません。非常階段を歩いて降りていきました。
ロビーのソファーは宿泊客で埋まっています。レストランの椅子に身を置いて情報が入るのを待ちました。
その時点でのホテルからの情報では、「巨大な地震が神戸付近で起きたこと」、「交通機関は麻痺していて神戸の街から出ることが非常に困難なこと」・・・。

朝食を取りひとまず落ち着き外へ出てみました。
舗装されているはずの道路がぬかるんでいます。言葉だけは知っていたものの初めて目にする〈液状化現象〉
ホテルの近くを走る「阪神高速道」の橋桁は崩れ落ち、幸い落下を逃れた車が前輪を宙吊りにして停まっています。


「三宮」駅の方へ行ってみました。
停電のため信号機は消え、大きな交差点では白バイ隊員が手信号で交通整理をしていました。
途中のビルはことごとく崩れ、街中にガスの匂いがします。
救急車、消防車、警察車両がけたたましくサイレンを鳴らし走っていますが急を有する場面ばかり、建物の崩壊とかで行く手を遮られたり、消防、警察の方々はどれだけもどかしい思いをしたことでしょう。

「三宮駅」到着です。駅前のデパートは途中階が潰れています。JR東海道線、阪急神戸線の線路は90度に曲がって電車の運行が不可能なことは誰の目にも明らかです。

商店のショーウィンドーは粉々に破れいます。この惨事に略奪とか暴動が起こるのでは?と思いましたが、途中立ち寄ったコンビニでは商品を手にしたお客さん(被災者)がレジの順番を待っています。店員さんも停電の中、電卓を使って販売業務を淡々と続けていました。


お昼。ホテルの計らいで「おにぎり」の昼食を出していただきました。
この日の午後の便で伊丹空港から福岡へ帰る予定だったのですが、空港までの移動手段がありません。ホテルからは「移動手段が確立するまでご利用ください。」とのご案内を受けます。
ホテルの職員さんの中には、「出勤途中に壊れた家の中から人を助け出してきました。」と、話してくれました。

電話回線も麻痺していて、なかなかつながりません。まだまだ携帯電話が普及していませんでしたので、持っている人のをお借りしてバッテリーの残量を気にしながら、急な連絡だけを済ませました。

「西宮」より東の方は電車が動き出したとの不確定情報が入ります。
午後から「神戸駅」の方へ行ってみました。神戸から西の方(岡山方面)に出るルートはないものかと考えたのです。
電車は・・・動いていません。バスターミナルへ行ってみました。バスも動いていません。
自転車置き場に自転車がが折り重なっています。「これを1台拝借して・・・」などと、よからぬことが頭をよぎりました。

ホテルへ帰る途中、「中突堤」の売店でタバコを買った時です。
船(連絡船)の窓口が開いています。直ぐに駆け寄り運行状況を確認しました「船便は概ね正常で、明日も通常通り運行予定。」とのこと。


そこで、私が立てた「神戸脱出計画」
「神戸中突堤」→海路→淡路島「津名港」→海路→「関西空港」→
空路→「福岡空港」
(当時、「関西国際空港」が開港したばかり、「明石海峡大橋」はまだ開通していませんでした。)

ホテルへの帰り道、西の方を振り返ると幾筋もの大きな黒煙が立ち上っています。後から分かるんですが、地震後の火災で多数の犠牲者が出た「永田地区」からのものです。


ホテルの従業員さんに先ほど「中突堤」で得た情報を伝えます。

夕食は、またもホテルの計らいで「ハッシュドビーフ・ライス」を提供していただき「使用可能な部屋はご利用頂き、冷蔵庫の中はご自由にお使いください。」とのご案内。
神戸の方々は家を失い、温かいものも食べられずにいる人もいらっしゃるだろうと思うと、神戸の中でもすごく恵まれた環境にいたんだなあと思います。

もっと情報が欲しかったので、ホテルが準備してくれたラジオがあるレストランで一夜を明かすことにしました。
映像がないのでなかなか災害の実像はつかめませんが、少しずつ情報が増え「死者」の人数が増えていきます。

翌朝、ホテルから提供していただいたサンドウィッチの朝食を取りチェックアウトを申し出ると「十分なサービスをご提供出来ませんでしたので・・・。」とホテルの素晴らしい対応。
その代わり、ではありませんが「外国人のお客様5名(米国、英国、豪州)を【関空】まで案内していただけませんでしょうか?」との申し出を快諾して「中突堤」へと向かいました。
「お気を付けてお帰りください。」と見送っていただいたホテルスタッフの皆さんの心遣いには、思い出すと今でも《涙》が出てきます。


淡路島「津名港」へ渡る船中、同行した外国人さんがとても不安そうな表情だったので、地図を使いルートを説明してあげると少し安心したようでしたが「Crazy life・・・.」とつぶやいたのを覚えています。

「関西国際空港ターミナル」へ到着。
前日に、目と鼻の先で大きな地震が起きたことなどなかったように空港は動いていました。
関空の公衆電話はストレスなく使えます。まずは家で心配している(?)であろう美人?妻「無事であること。今日中に帰ること。」を連絡。(美人?妻は受話器の向こうで泣いて(?)いました。)

人というのは現金なもので、安心すると急にお腹が空いてきます(私だけでしょうか・・・?)
生きていることを確かめるように生ビールを流し込み、空港内のおいしいレストランをハシゴしています(馬鹿です!)
心配して待ってくれている美人?妻への「お土産」は、

これ。

予定を一日遅れ18日に帰宅。日に日に明らかになっていく災害の大きさをTV映像がまざまざと映し出します。
あの街にいたのかと思うと改めて無事でいられたことに感謝する日々が続きました。

「神戸」の街はどうなってしまうんだろう?と思いました。

3年後、1歳になった子供を連れて「神戸」を訪れ、あの時の感謝の意味も込めて「ホテルオオクラ神戸」さんで食事を取らせていただきました。
「震災の遺構」は残されていますが、眼に写る「神戸の街」はわずか3年で見事に立ち直っていました。

「日本」という国土は、その後も大きな災害に幾度も襲われました。
この世の終わりかのような惨状に人々は打ちひしがれ、希望を失いそうになります。
しかし、人々は秩序を失わず助け合います。
復旧・復興スピードの違いはあるものの人々は立ち直り、立ち上がっていきます。

 

『阪神・淡路大震災』から四半世紀

 

神戸へ行くことを両親には話してなかったのですが、美人?妻がそれを伝えると父は、「死にに行ったようなもんだ!」と言ったそうで・・・。愚息がネタ的に使うのが、「父さんがあの日【神戸】で死んでいたら、僕は生まれてこなかったんだよネェ!?」

 

今日は、あの「震災」で尊い命をなくされた方々のご冥福をお祈りするとともに、「生かさせていただいた」命を大切にする『祈念日』です。 合掌

 

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このブログは、福岡県大川市の 有限会社 正信堂(せいしんどう)
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author:徳永和則, category:自己紹介, 00:35
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