- 北野天満宮
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2019.06.03 Monday
福岡県大川市の「たのしいはんこ屋さん」正信堂(せいしんどう)です。
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はんの正信堂 徳永です。
菅原道真公をご祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮、天神社の≪総本社≫
福岡県の「太宰府天満宮」は100回近くお参りさせていただいたと思うのですが・・・。
もう片方の≪総本社≫、京都市上京区「北野天満宮」を
初めて参拝させていただきました。
京都の北西、「乾」を守護する神社で、もともとは天地すべての神々を祀った地主社が建てられました。
903年大宰府に流された菅原道真が死去すると、京都では落雷などの災害が相次ぎ、道真の祟りがと噂が流れました。
そこで朝廷は道真の官位を返上、複数人に託宣があり、947年に建てられたのが始まりです。その後は一條天皇から「北野天満宮天神」の神号が認められ、朝廷のみならず足利将軍家、豊臣家などの武士からも厚い信仰を受けました。
江戸時代からは御霊信仰の影は薄れ、学問の神様、芸術の神様として親しまれています。
■一の鳥居
今出川通りに面して建つ高さ11.4mの大鳥居。木曽の花崗岩の一本柱で、大正10年に建立されました。
■楼門
楼門の上部に掛けられた額には、「文道大祖 風月本主」の文言が刻まれています。
平安時代中期の学者・慶滋 保胤(よししげ の やすたね)、大江匡衡(おおえのまさひら)が菅原道真公を讃えた言葉です。
本殿が正面にない?「筋違いの本殿」
多くの神社は参道の正面まっすぐに本殿が建てられていますが、ここ北野天満宮は西にずれています。
ではまっすぐのところに何があるかというと、地主社にたどり着きます。
その昔、この地には地主神社があり、後に現在の社殿を建てたので、正面は昔の地主神社をそのままにお祀りしているそうです。
■三光門
本殿前に建っている三光門。
三光門とは「日」「月」「星」の彫刻が彫られている門のことを言います。
そこでチェックしてみると、日の彫刻と月の彫刻は発見できますが、星の彫刻が見当たりません。
星は天上の北極星を指す説があります。
平安時代に御所は千本丸太町に位置し、そこから北野天満宮に向かってお祈りする時に三光門の真上に北極星があったと言われているそうです。
■社殿(国宝)
ご祭神菅原道真公をおまつりする本殿と拝殿、石の間、楽の間を連結した日本最古の八棟造(権現造)です。
現在の建物は慶長12年(1607)に造営されたもので、桃山時代の華麗な装飾とともに、歴史的に非常に貴重な建築とされています。
■なで牛
牛は天満宮では神使とされていますが、菅原道真が丑年であったこと、道真が亡くなった日が丑の月の丑の日であること、道真が大宰府に下る時に牛にまたがっていったなど、いろいろな説があります。
境内にある頭をなでると頭が良くなると言われているなで牛。
頭だけではなく、自分の身体の悪いところをなでてから、なで牛の同じ場所をなでるとその箇所が良くなると言われています。
そのせいか、参拝客がよく通るところの牛はピカピカに輝いてます。
境内には十数体いるそうです。
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